「あいしている」と 言ってくれ。
僕はキスをすると、くちびるを噛んでしまう。
僕のじゃない。それじゃどうにも間抜けだろう。相手のだ。
何度も突き飛ばされ、はたかれ、殴られなじられた。
理解が出来ないと喚かれた。そりゃそうだ。キスをする度にそうなんだから。
「…そういう性癖なんだ」
「そうだなあ」
どうしようもないんだ。止めようがないんだ。
正確にはくちびるを噛みたいんじゃない。それでにじんだ涙を見るのが好きなんだ。
ただ、かわいいなと思う。その瞬間、ほんとうに愛しいなとおもうんだ。
痛そうだなとは、ぼんやり。それはほんとに、なんていうか、同情するっていうか。でもとめられない。
キスに、相手に、くちびるに気をとられているときにそこに気を払うのが僕には少し、難しい。
ぎゅっと手を握って、おでこをくっつけて、
この世でいちばんやさしいような人間の目の奥を見て、僕の箍ははずれる。
心臓はもう飛び出そうなくらい。
そうして少し汗をかいてどうしようもなくかなしく、寒くなって、
それからそっとくちびるをくっつける。そっとそっと、押し付ける。
握った手のひらに力をこめないようにぐっと心を沈めて、そっと背中を引き寄せる。
触れるやわらかな感触に、目蓋の奥の、ずっとずっとずっと奥に、
火が点って、それがあかくなって、どんどん赤くなって、
それから閉じた目の前を灼いて、
「…っ…、こら!」
こうなる。
「お前もう、いい加減その癖直せ」
「はあ…」
突き飛ばされもせず、はたかれ、殴られなじられることもなく。
笑ってる。どうしようもないって笑って。
「…おかしな人間もいたもんだなあ」
「自分のこと言ってんのか」
でこぴんは痛い。僕に噛まれるのとどっちが痛いだろう。…噛まれるほうか。
噛み千切るほどじゃないけど、時々噛み切ってしまいたくはなる。
僕の凶暴性はここにしか表れない。
だから余計に、目につくし目立つし、だから辛い。
「やめれば」
「あ?」
「こういうことするの、やめたらいいんじゃないの」
キスをやめれば。
付き合いを止めれば。
「お前…、そういうの屁理屈って言わねぇか?」
「へ?」
素っ頓狂な声を出してしまった。
かたまったまま視線だけで追いかけた相手は、「屁理屈じゃねえか? あれ?」とかぶつぶつ言って、
それからまたしょうがねえなあ、と笑った。くしゃっと笑った。
それを見て僕は突然、どうしてかほんとに突然、奴を殴った。
グーで。
「……って…、拳かよ!」
「………あ………」
俯いたまま頭を抱えて、叫ぶ。
ええと、頬ではなくて、脳天をごつんと。
力の法則により下を向いた頭が持ち上がるのを待って覗いたら、
「………………」
目に涙がにじんでいた。そして奴は頭をしきりにさすっていた。
「…………、……?」
心臓のあると思われる辺りがざわ、というかぼろ、というか、そんな風になった。
とにかく何か、大きなものが動いたり剥がれたりしてしまった感触がした。
「ってぇもう、何なの今度は」
「……なんだろうか」
「てめぇ」
ほんとうになんなんだろうか。この心の革命は。
「悪かった」
「…はい?」
「殴って悪かったと言ってる」
「それが謝ってる態…まあいいや、で?」
さっき噛み付いたくちびるが少し赤い。それがかなしかった。
なぜだか、今までとは正反対のことを考えてしまう。
「おーい?」
今までは、こうだ。
キスをするとくちびるを噛みたくなってしまう、
それは僕のせいで涙の浮かんだ目を見たいがためだ、
でも、今はこうだ。
「泣くな」
「はぁ!?」
…そういうことだ。
「またお前はそういう」
「…だめならいい」
「あああ、駄目じゃないです」
腕を掴まれ、ぎゅううっと抱きこまれた。
「…わかったの?」
「わかったよ。今までの奴はいじめたかったけど俺はそうじゃないってんでしょ」
「…ああ…」
「えっ、ちがうの」
「いや、…ことばにするとそんな感じなのか、と」
「お前なあ」
なんでアレだけでわかるんだろう。こいつは天才か?
「じゃあもう噛まないんだな」
「…それはどうか」
「なんでだよもう、」
触れられてから、目を閉じた。なんだか我慢比べのような心境だった。
おまけに今度は舌なんかで舐められたりするし身体は抱きしめられたままだし、
ふわあっと脳が浮き上がるような、腕をつかんで力を入れないと崩れそうな。
耳が熱くて、ほっぺたも熱くて、震えるような、どうしようかというほどの昂揚感。
そして僕は、負けた。
「いってえ!」
やっちまった…。
「…すんません」
「だめか…駄目なのか…」
革命は起きたはずなのに、どうしてか前のまんまだった。ちょっとかなしかった。
そしたらまた、笑うんだ。
それがなんだかいちばん、嬉しくてだから苦しいのに。
「いーよ、俺のこと好きなんでしょ」
「…はあ」
「だったらいーです。オーケイオーケイ」
「……そうなの?」
こいつはもしかしたらMだろうか、そんな疑問を口に出す資格は僕にはない。
ただ笑って、いいのいいのを繰り返す奴に、僕は笑ってやった。
すると、一瞬きょとんとした顔で僕を見て、
それから大型犬のごとく鼻先をすり寄せてくる。呆れる資格も、僕にはない。
「…また噛むよ」
「ん、いいのいいの」
我慢するってゆうか、その癖直してやる。俺が。
ああ、真剣な声で、顔で、ほんとにいやなことを言うんだから。
そして奴は近づきながら、僕の好きな顔で笑った。なんでこの人間はだめな僕をゆるすんだろう。
こんなによくないものをたくさんたくさん持って笑ってみせるのに。
「おいで、」
「…もう充分だと」
「もっと近くにいらっしゃいと言ってるんです」
「誰だよ」
体は生温く、背中を叩く手のひらはやさしく、
「………」
「…れ、平気じゃん、…っ! っと、…おーい、」
気恥ずかしいというか。照れくさいというか。いっしょか?
つながれた手のひらを離そうとしてそれは許されなくて、とりあえずわざと噛み付いた。
いつもよりずっとやわらかく、だけど。何度も。それでもむきになって離れないくちびる。
「今のはわざとだな」
「……」
押し当てたまま喋る。ことばは直に流れ込んでくる。
ああ、悪くないかも。
「まあいいや」
「…耐えてね」
「ハイ」
これからも好きだとかなんだとか言ってこいつはキスを仕掛けるだろう。
ちなみに僕の癖はまだ完治していない。
…うわ、むずむずする。
「……んんんん」
「…っ、んーっ!」
馬鹿馬鹿しくも美しい日々が今はじまろうとしている。
おわりー。
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変人が書きたかったの。