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MAMA LOVES
「 こ れ お 母 さ ん じ ゃ ね え だ ろ ! 」
その日は朝から落ち着かなかった。何しろうちに『お母さん』が来るのだ。前の晩からと言わず「お母さんができたぞ」と言われたときから俺はずっと緊張していた。親父は会わせてもくれずただニヤニヤするばかりで何の事情説明もしなかった。ただびっくりするぞーと嬉しそうなのでそれなりに期待はしていた。高校生男子にしてみればこれはえらいことだ、なのに、それなのに。
学校をさっさと抜け出してバス停まで小走り気味に歩く。運動神経の切れた自分にしてはよい動きだったと思われる。それにしても体育でのバスケは痛かった。どうしてみんなあんなに早いボールに反応できるんだろう、不思議すぎる。
「かーさんがー、よなべーをして、…ちげえ、」
母ができるというのはなんだか不思議だ。20メートル先から飛んでくるボールを素手で取るのより大変なことだろう? 血の繋がらない人間がお母さんだって。ヘンなの!
「でもなー、なんかなー、…あー、」
緊張したときに出る語尾をのばす悪い癖を直したい。直せというだろうか、新しいお母さんは。
…実は俺、「今日はハンバーグよ」っていう台詞に偏った憧れを抱いている。17年間隠しつづけてきた俺だけの秘密だ。
生まれてすぐに母は死んでしまったらしい。父も自分もよくぐれずにここまで育ったものだと思う。幸い自分は運動神経だけが問題なぐらいで(顔も悪くはないと思う、背は高すぎず低すぎず頭もそこそこ良い、)非行に走る前兆すら見せていない。父は見かけ的にはちょいワル一歩手前という感じ。料理はするけどめちゃくちゃで、…本当のことを言うとちょっとどころかけっこう破天荒な人だったりする。だからそんな父についてきてくれるという女性が現れただけでこれは儲けものだと思った。
それでつい家の近くの花屋で花を1本買ってしまった。貴重なバイト代が! それにうちに花瓶なんてあっただろうか。浮かれている。俺は確実に浮かれている。
今日来るといっただけで時間は知らされていなかった。鍵を突っ込んでまわしたら軽快な音がしてロックされてしまう。なんてことだ、もう居るのか。スリッパのぱたぱたという可愛らしい音が聴こえてくる。やべえ取り乱すな俺! 相手は新しいお母さんだ、ぞ、
「おかえりー!」
「うわー!!」
「シゲくん? シゲくんだあ!」
「うわー! うわー!!!」
男だ! 若い男が俺を抱きしめている!
「あっ、花だ! すごい、買ってきてくれたの?」
「あっ、うっ、はなっ」
「うんうん!」
うわっ、うれしそうだ!
「はなれてくれー!!」
あまりの事態に俺は親父に電話した。
「おいっ、うちに知らない男が!」
『ああ、それお母さんだぞ』
「これお母さんじゃねえだろ!」
『それがお母さんなんだよなー』
「お母さんだぞお?」
「だまってろ!!」
茶髪で目の細い猫っぽい男だった。背はひょろりと縦に長く今時の若者って感じ。大学生…ぐらいだと思うんだけど。
「とにかく! さっさと帰ってきて! わかった!?」
わかったよーうとかるーく返事をされてごとっと重厚な受話器をそっと置いた。なぜかというと以前怒りに任せて投げつけるように置いたら位置がずれてしまってプチ恥ずかしい思いをしたことがあるから。
「はじめましてシゲくん、」
「しらねーよ…」
「うん…、新しいお母さんです、ケイっていいます、よろしくね」
それから俺は何も言わずに鞄をひっつかみ駅前の本屋で立ち読みアンド参考書物色計2時間を難なくこなした。正直現実から逃れたかった。お母さんじゃねえもんあれ。だって違うじゃんねえ?! 間違ってるよ!
そーれーなーのーに!
「あ、雨かよ……………………」
神は俺のことが嫌いなんだろうか。食事のときにイタダキマスというのはそりゃあ生産者への感謝の礼儀だが神様ありがとう、って空を見上げることだってあったんだ。というかそんなことはどうでもいいんだけど、けど、
「あっ、シゲくん!」
雨の日の歌を思い出した。あーめあーめふーれふーれかーあさーんがー。そうだわすれていた、俺は音痴でもある。
「雨降っちゃったね」
「……」
「お父さんがここに居るよって」
「……、」
はい、と自分専用の傘を差し出されるこの切なさ。だってお母さんじゃねえもん。
「かえろう、」
「…、」
傘を差した。無言で歩いた。目は見られなかった。だってまだ認められない。こんなばかげた話があるだろうか。いくら家事をしたってこいつは『お母さん』ではない。『お母さん』にはなりえないのだ。自分なりに描いていた理想(?)を崩されてしまったショック。親父も悪気があったわけじゃないんだろうけどこれはいただけない。
人生で初めての反抗期だ、反抗らしい反抗なんてしたことないよな、反抗期ってどうやるんだろう、そう思いながらいつのまにかすこし前を歩くケイを睨みつけながら歩いていた。しおしおとしているように見える。視線で人は攻撃できるんだろうか、やりすぎたかな、そう思った矢先。
「あ、ちょっと待ってて」
馴染みのスーパーの前でそいつが足を止める。雨の音とちいさくなる背中が鮮明に残った。しばらくして出てきた両手には親父の好きなビール瓶。買ってきてって言われてたんだあ、と嬉しそうに見せてくる。
あれ? なんだか全然へこたれていない。
「おまえ」
「お母さんって呼んでくれー」
はい、と小さな袋に入ったチョコレートを渡された。あっ、俺が好きなやつ。
「おまえなんなの」
「お母さん、」
反抗期ってこういう風にしてある日いきなり訪れるんだ。どうしようもない理由で、反抗して然るべき状況に落とされて、だから。
「今日はハンバーグだからねー」
「……!!」
なんとなくはじまってしまうものがそれとなく始まってしまうまで、あとすこし?