sound of silence





「間違いありません、こちらです」
「……誤発送か。シリアルは?」
「S-0004583、未解決です」
「高い金払ってんだぞ、こっちは…」

 メインマシンに繋いだ途端これだ。トラブルが多いとは聞いてたけど、まさかここまであさってなモノを寄越されるとは思いもしなかった。よりによってワークタイプだなんて、いくら50を過ぎてひとり身だからってこんなものに相手をされるつもりはない。発注したのはメイドタイプだ、家事もできないんじゃ意味がない。

「他のデータは書き換えるとして…」

 スキンいじりは専門外だ。別注のユニフォームはなぜかきちんと女物ばかり。男の外見をしたものに女の服を着せて喜ぶほど悪趣味でもない。担当者に問い合わせてスキンだけでもどうにかさせようと思った。

「マスターネームは」

 人工知能が発達してからもう何十年もたってしまって、今ではアンドロイドも人間と変わらない外見を手に入れた。言動がほんのすこし未発達なのは科学者が提唱したアンドロイドが人間を凌駕しないための最低ラインを人間が必死に守っているというだけだろう。人間は機械のほんのすこしのバグも見逃せないくせに、自分たちの粗にだけは目を瞑る。

「チカ、マツ、」
「……チカマツ?」
「はい」
「近松……、」

 アンドロイドが呟いたその名前を聞いたとき、耳の奥で水の音がした。不意に意識がそれてマシンの作動音も聞こえなくなる。





 学校をさぼってすこしはなれた公園の池まで自転車をこいだ。ふたつ並んだそれが公園の門をくぐるとき、腕時計のアラームが小さな電子音をたてた。

「まだちょっと暑いなー、」

 朝通ったときに綺麗な蓮がひらいていたのでクラスメイトの近松博人を誘った。隣の席で眠っていたので暇なんだろうと踏んだのだ。案の定彼はふたつ返事でついてきた。池の周りにはそれでも夏の終わり独特の蒸し暑さが漂っている。

「あ、キレイ!」

 名前のとおりというか演劇少年で綺麗なものが好きな近松。思ったとおりの顔で笑ってくれて、いきなりひっぱりだしたこっちとしても安心する。

「いいじゃん、俺あんまこっち側来ないんだよね」
「おお、」

 他愛もない会話は続いた。近松がなんだかいつもよりテンションが高くて喋りつづけるのだ。学校の話、家の話、友だち、部活、先生、…。終わらないんじゃないかとさえ思った。終わらなければいいとも思った。次の瞬間、それは打ち砕かれる。

「んでさあ、俺ふられたんだ、」

 衝撃だった。ただ、言葉を失った。

「言ってたじゃん、劇部の」
「……………、」

 嬉しかったんだと思う、単純に。

「告ったんだけど、…ダメだった」

 わかってたんだけどどうしても言いたくなっちゃって、と近松は笑った。どうして笑えるのかわからないほど、きちんとふられた顔をして笑っていた。

「……なんで笑う」
「いや、泣きたいよ? でもさあ、」

 それから近松はとうとうとその近松より背の低い黒髪の女の子の話をした。聞いていたかったわけではないけれど、聞いていなければいけないと思った。近松が笑っていたから。

 近松は出会った頃からその恋をしていた。出会っていてもいなくても同じだと自分を慰めることはできたけれど、なんだか強大な無力感という重圧にのしかかられて動けないでいた。けれどその時、ざわりと胸が染まっていくのがわかった。顔には出ない性分なので、近松に伝わったとは思えなかったけれど。

「……なきたい、けどさあ……」
「うん、」

 じわり、と彼の温度に空気が歪む。卑怯だろうかと思いながらもそれには苦労をして目を瞑った。抱えた身体はすでに揺れていて、その背中をさすっても止まらない。見ないためだと囁くとすこし声をあげてしがみついてくる。人がいなくてよかった、ほんとうに。今こんな風になる彼を見るのは自分だけかもしれないと、そう思えた。

「……悪い、」

 こんなところで泣くことになるとは思わなかった、鼻声でそう言ってさっきとは別の顔で笑う。ぱっと身体を離して、俯いたまま最後のひとつぶをやわらかい芝の上に落とした。それでもどうしてもそれ以上触れそうになかったので、どうにかして見なかったふりをした。

「戻るか」
「ん…、もうすぐ昼だ」
「ああ、」

 帰りは彼の後ろを自転車で走った。なんとなく、なんだかすいっとあらゆる角を自分とは別の方向に行ってしまう気がして。近松はそれを察したのかおとなしく前を走った。
 ただ、笑っていた。



 それから三ヵ月後、近松は池に落ちた。蓮を見に行ったあの池だ。彼は助からなかった。ひとりきりだったのだ。足を滑らせたようなあともあったものの、事故だと断定はされなかった。クラスメイトたちが声をあげて泣いていて、それがあのときの近松とだぶってしまって、それで泣いた。それまではあまりにも実感がなかったので、泣くに泣けなかった。

 とにかくあのときの自分の胸騒ぎのようなものが正当だったと制服を着た演劇部の一団を見たときぼんやりと思った。ああしていなければ近松はガードレールを飛び越えてトラックに突っ込んだかもしれない。踏切を無理に渡ろうとしたかもしれない。でも考えても考えても近松が生き返らないようなので、そういうことを考えるのはもうやめにした。





 耳の奥で蓮が爆ぜるような音がして目蓋をあげると、そこは見慣れたコンピュータだらけの無機質な部屋だった。宙に浮かんだモニタが写すものをなくして整然としたホログラムを積み上げている。

「……厭なことを思い出させてくれたな」
「返却しますか」
「いいや、」

 ひとつため息をついて気分を落ち着けた。腹を立ててつき返したところでどうせ支払ったものは戻ってこない。スキンの変更もやめにした。さっきからひどく真っ黒な目でこちらを凝視しているアンドロイドは誰かにほんのすこし似ているような気がする。仕方なくアンドロイドをパイプ椅子に座らせてコードを引き出した。それを見てそいつはほっとしたように目を閉じた。ただの気のせいかもしれない。

「では登録をお願いします」
「ああ、」

 悪趣味なつくりのワークタイプは気に入らなかった。でもそれもデータを上書きすれば済むことだ。ジョブチェンジはできないにしても機能を抑制することぐらいわけはない。家事は徐々に覚えさせればいいだろう、…なにが、ワーク、だ。

「音声認識です、センターに問い合わせをお願いします」

 顔も声も話し方もちがう。同じところなんてないのに。

「…コールS-0004583、」

 手に入ることはもう、ないのに。

「IAID・チカマツヒロト、ワークタイプ・F-88……」








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