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in winter #1
冬は寒くて、スープがあったかくて、生き物のしずかな季節。
つめたくて薄情で大嫌いだったけど、
「おはよ、」
「うん、」
この瞬間はなにものにも代え難いのだ。
毎朝彼とここで会う。
約束はしていなくても、毎朝このベンチで会える。
さして離れていない自宅から通学路にあるこの公園まで、
ぼくはひたすら歩いてひたすら願う。
今日も彼が健康にやってきますように。
あまりつめたい風が吹きませんように。
今日も彼がきれいに自転車をこいでいますように。
あの大きな犬がこちらへきませんように。
今日も彼があのマフラーを巻いていますように。
ひたすら願って、ぼくはその木製のベンチへ腰掛ける。
「あ、」
太陽を目に入れないようにそっと顔を上げた瞬間、
彼は深い藍色のマフラーを巻いて自転車を走らせて
ぼくにいちばん近い曲がり角を曲がるのだ。
(犬は、こなかったな、)
朝の光に照らされた時は、はちみつのようにながれていく。
放課後、下駄箱にて。
「ノート忘れた!」
ざわざわとまるで浮かれた学校終わりに奔放な一声を残して、
雑踏のような人並みをすり抜けて彼は行ってしまう。
ぼくはひとりになって、
バイバイという友だちの温かい声に包まれる。
ぱたんと小さな扉をとじて、その声に笑い返す。
だって、こんな風にひらいてしまう物理的な距離ですら
許せなかったときがあったのだ。
(これは馴れじゃない、進歩だ)
さすがに公衆の面前で行かないで、なんて真似はしないけど。
内心ため息を吐いて舌を出していたら、
なんと女の子に声をかけられた。
見透かされたのかと思って飛び上がりそうになる。
でもよく見たら委員会の後輩で、
ただ連絡したいことがあったんだって。
いつものようにさらりと伝えることだけ伝えた彼女は
さらりと茶色い髪を肩から滑らせて行ってしまった。
彼女の影がたくさんの人間の影の中に埋もれて消えていった。
ハロウィンの色合いのようなコントラスト。
(朝とゆうがたの色って、全然ちがうなあ)
と、彼が息をきらして戻ってくる。
すごいな、今までで最速じゃないか?
「早かったね」
「そ、そうか?」
がたがたと無駄に音を発しながら靴をはきかえる彼。
ばたん!と下駄箱のふたを閉じて、ぼくに笑いかける。
靴を履ききらずにかかとを踏みつけていて、
ぼくはいつもの彼らしくないなと思った。
思っていた、ら。
「さっ………き、の」
「うん?」
ざっ、ざっ、と靴が地面をすべる音。
運動部のランニングの掛け声。
青い空、反対側に、オレンジの夕焼け。
「……、」
「さっき?」
「……、えと」
彼がコートのポケットから銀色のキーを取り出す。
銀色の自転車は、つやつやと光っていて。
「さっきの女…の、子、…誰かなって」
「………? ……ああ、」
さっきのって、あれかな、委員会の子かな?
「こうはい…?」
ああ、さっきの見てたんだ、そう思った。
「あ、後輩…」
「う……ん、」
返事をして、それから彼を見つめた。
真っ赤だった。だから思った。
「え…………、」
それで、はしってきてくれたのかな?
濃い藍のマフラーが彼をあたたかに包んでいる。
荷台にぼくを乗せて軽やかに、
そして夕焼けに赤い頬を照らさせてかすかな緊張とともに。
「…なあ、」
「うん?」
まっすぐ前だけを見るその声。凛と。
「俺がさっきあんなこと訊いたのは」
思わずぎゅっと握り締める手袋の中のゆびさきひとつ。
聞こえないふりなんて出来やしない、
ふたりっきりが響く冬の日。